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【スナフキン的自己肯定感】ゆるく生きたければ人の期待に応えようとしてはいけない

スナフキンイメージ

 

子どもの頃、なんとなくスナフキンをいいなぁと思っていました。

 

色合いが好きなのかな?

それとも、めったに会えないメタルスライム的な特別感かな?

 

などいろいろ考えたけれど、大人になって理由がわかりました。

 

 

「いつもやさしく愛想よく」なんてやってられないよ。理由はかんたん。時間がないんだ。  byスナフキン

 

 

これです。

 

この人に媚びないかんじ、自由なかんじ!

飄々としていて何ものにも染まらないブレないかんじ。ひとりでどうとでも生きていけるかんじ。

 

自尊感情・自己肯定感というものが、高い人なんだろうと想像つきます。

自尊感情・自己肯定感とは、「自分に価値がある」と感じられる感覚=自分を大好き、大切と感じる気持ちのことを言います。

 

 

対して小田切、自尊感情や自己肯定感が乏しく、何に対しても自信が持てない人間でした。

これが長年、辛くて辛くてしかたなかったのです。

 

同じように悩んでいる人は多いのではないでしょうか?

 

 

誰かの期待に応えてナンボの人の心理

「自分に価値がある」と思えない人は自分が好きではないので、こういった心理になります。

  • 周りの人に好かれる自信がない
  • ちょっとしたことで嫌われたかもと不安になる
  • 人にどう見られるか異常に気になる
  • 自分はつまらないかもしれないと思う
  • 自分は人気がないかもしれないと思う
  • 自分は必要ないかもしれないと思う
  • だから認められたい・必要とされたい

 

根底にこうした気持ちがあるので、人に尽くすことや期待に応えることで、ダメな自分の価値を上げられるかもしれないと考えます。

よって他人軸な生き方となってしまいます。

スナフキンとは真逆ですね。

 

小田切も、努力しないとダメで、完璧じゃないとダメで、期待に応えられない自分には価値がないと、めちゃくちゃ高いハードルを自分に課していました。ほとんどお仕事(漫画)がらみの場合ですが。。。

 

ちょっと雑誌の年齢層上げたいので、主人公は高校生男子でお願いします

え?今、小学生くらいが読者層なのに…ウケるの?読んでもらえるの?

普通の少女漫画でなくてジャンプみたいなバトルものでよろしく

えーっ 少女漫画が描けると思ってたのに…バトルなんて描いたことないんだけど…でも努力しないとダメだよね!

がんばって先駆者になってくださいね!我々の給料あなたの肩にかかってるんで

…やりたくなくても、せっかくの期待に応えなきゃダメだ…プロなんだから、期待に応えないのは最悪だ

◯日までに、これとこれとこの原稿お願いしたいんですが大丈夫ですか?

本当はキツい…実は熱が39度ある…でも私がやらないと誰かが困るんだよね…病院に行って熱を下げる注射打ってもらおう

 

 

などなど!

 

自分の感情をおさえこんで「私ならできる!乗り越えられる!負けるものか」と、気合いと根性のスポ根精神でやっていました。辛いのは自分が未熟だからだと、がむしゃらにやりました。

 

必要以上に、周りの考えがどのようなものかを読み、自分の気持ちを無視して、その考えに合わせよう応えようとしていたのです。

 

 

 

仕事じゃなくても、例えばメールが来たら勝手に「早く返事をしてほしいだろうな」と想像して返し、そして相手から返ってくるたびに自分も返事をし続け…人の都合に自分を合わせ、結果、自分のための時間がなくなっていくという日々。

 

既読無視なんてもちろんできません (ー ー;)

 

 

 

私のような、自分の能力で勝負の土俵に上がらないといけない世界では、ある意味〝期待〟に応えることは基本中の基本としてあるのは否めません。

 

ですがどんな世界でも、長い間、人の期待に応えなければいけないという気持ちを背負い、応えることで自分の価値を上げようとすれば必ず限界が来ます

 

 

周りの期待に応え続ける落とし穴

●「人の期待に応える」という全身全霊をやり続けることはできない

誰かの期待に応えることって、「相手に喜ばれることをする」ことです。これって生半可でできることじゃないです。

何をしたら喜んでもらえるか?どうすればそれを自分ができるか?知力、体力、精神力、あなたのあらゆるエネルギーを総動員しなければならなかったりします。それを続けるということは、ゴールのない全力疾走を続けるようなもです。

 

●期待に応えられなかった時に自分を責めてしまう

どんなに大変な努力をしてがんばっても、喜ばれるかどうかは相手次第

期待に応えられているうちはいいけれど、応えられなかった時は、「やっぱり自分はダメだ」とさらに自分否定を強くしてしまいます。

あなたの評価(価値)を、周りにゆだねてしまうということは怖いことなのです。

 

●見返りを求めてしまう

やりたくてやっていることではないので、「私はこんなにがんばっているのに」「誰もわかってくれない」「どうして自分だけ」という気持ちがどうしてもわいてきます。

そして「これだけのことをしたのだから、返してほしい!または、返ってきてほしい!」という感情になります。

 

ここまで追いつめられると余裕がありませんので、他人を責めてしまうようになります。好きなことばかりしている人に嫉妬したり、ちゃんとやらない人が許せなくなったり

ひどくなると周りの人がみんな敵に見えてしまうことも。

 

● 人のためにやったことが、逆に迷惑をかけてしまう

周りの期待に応えられると思って、良かれと行ったことが、相手にとっては負担だったり、ありがた迷惑だったり、望んでいないことだったりする場合もあります。

 

私の経験上、いつかどこかで破綻するため、相手が得することもまずないです。

そして「期待に応えられなかった時」と同様、自分をドン底まで突き落とし、相手も自分も傷つける結果となります。

 

●周りは我慢してやっていることだと気づかない

自分を押し殺して「期待に応えよう」とがんばっても、周りは好きでやっている、やりたくてやっているというふうにしか見えていません。

「我慢してがんばってくれているから感謝しよう」とはならないです。それどころか都合のいい人になってしまう可能性まであります。

 

 

出版業界では、「〆切は守るべきか、守らざるべきか」という論争がネタとしてあります。

私は、〆切に遅れることが何より申し訳なく、無茶をして間に合わせるタイプ。

 

もちろん〆切は守るべきなのです。

 

ですが、これは新潮社の編集員(元)・中瀬ゆかりさんの言葉ですが

「〆切を守っていただけるのはもちろんありがたいが、遅筆な先生でなかなかもらえなかった原稿がもらえた時のほうが〝ありがたい!〟という気持ちが強くなるというのはある」

 

と、おっしゃるのを聞いた時、やっぱりなぁ…と思いつつ、若干むなしさを感じました( ̄∀ ̄;)

自分を犠牲にしてがんばっても、それがそのまま評価につながるわけじゃないということです。

 

 

楽になるために期待に応えない生きかたを

ここまで読んでくださった方は、自分をおさえてまで「周りの期待に応えること」は幸せには結びつかない、それどころか相手の負担になる、ということをわかっていただけたと思います。

 

期待に応えて一時は満足できるでしょうが、長くは続きません。

 

確かに期待されるのは嬉しいことです。モチベーションも上がります。

それが、自分のやりたいことをやった結果として、期待に応えられたのなら、なんの問題もないんです。

ただ、「期待に応えること」が目的で、やりたくないことまでしてしまうと、しんどくなるんですね。

 

 

 

プロの漫画家の私の場合、期待に応えるということは宿命としてやはりあります。

連載を始める前に、編集部から要望を出されることも宿命で、それに応える形でやってきました。

 

でも、断ることもできたはずなんです。 

www.odagiriblog.com

 

 

この記事で書いた身近な友人がそれをするまで、私にはそんな選択肢があることすら思いつかなかったのですが。

(ちなみに、編集者の要望とは違う案も出してみるという小さな抵抗は試みます…却下されますけれども)

 

 

 

 

私は今、漫画を休載しています。

 

本来ならコミックスが出たばかりのこの時期は、なるべく雑誌に載って作品を見てもらう機会を増やすことが漫画家の仕事で、今までの自分なら絶対にやらない暴挙です。

 

担当さんも続きを期待してくれていたな

とか、

待っていてくれる読者もいるかな

とか、

 

そういう周りの人たちのことを考えて、「こうしたほうがいいよね」「しなくちゃいけないよね」と推察して、そのように行動してきました。

 

 

 

 

 

でも私の心は

ずっと悲鳴をあげていました。

 

 

 

私は昔から、自分がどこか〝許されていない〟〝ここにいてはいけない〟という感覚があります。

 

だから、周りから許されるために、努力したりがんばったりしてきたのだと思います。

人の期待に応えることは、私にとって「ここにいていいよ」と許されるための代償。

つい周りの期待に応えようとしてしまう人は、そういう感覚があるんじゃないかな?

 

 

 

でも本当は

 

「誰かに許してもらわなくても、私は私を許すし認める」

 

こう思えるのが一番良い。

 

 

 

 

つまり今までの、

他人の考えや感情だけに注意を払う人生じゃなくて

 「自分の感情を尊重し、やりたいことを誰の気兼ねなくやる」

ということ。

 

 

 

「私が」喜ぶことをやり、自分を整えて

 

その次にやっと、誰かのためになれる

 

 

 

 

 

まず自分をしっかりと生きてから。

 

そうしてやっと人のためになれるのだと

今は感じています。

 

 

 

かといって

今までの自分の生きかたが無駄だったのかといえば、そうは思いません。

これ以上素敵なことはもう自分の身に起きないかもしれない…そう思えるほど貴重な経験もたくさんさせていただきました。

 

だから、今自分を押し殺して誰かの期待に応えるために一生懸命なあなたの時間は、決して無駄になりません。魂に刻まれてあなたの糧になります。心配は不要です。

 

もし、自分を苦しめたり、何かをあきらめさせたりしているのなら、〝期待に応える〟を手放していきましょう。

 

 

 

私にもまだ、怖さは少しあります。

 

それでも今、とっても心は楽です。

こんなに楽だと思うのは、生まれてはじめてかもしれない。

長年の自尊感情の低さ、ネガティブな思考から自分を解放させるのは、正直至難の業です。

 

だから小さな一歩からで良いんです。

 

「自分の感情を尊重し、やりたいようにやる」ことが、その一歩なのかなと思います。

 

 

 

自分をいたわったあと、一歩ふみ出してみてください。

 

きっと大丈夫ですよ。

 

 

 

補足*

本来人は、生きているだけでかけがえのない存在であり、たとえ誰かの役に立たなくても迷惑をかけても、存在価値にはなんの関係もありません。

ありのままの自分で存在して良いんです。

 

それでも私のように、自尊感情や自己肯定感が低くなってしまうのは、ほとんどの場合「自分と母親との関係」に原因があると言われています。仲が良くてもです。

 

私の「人の期待に応えたい、喜んでもらいたい」というのがどこから始まったのかを考えていくと、

「お母さんに喜んでもらいたい」

にたどりつくのです。

 

生きづらさを感じている人は、一度自分と母親との関係について考えてみるといいかもしれません。

 

 

ただし、母親を責める目的で考えるものではありません。ありのまま、過去に起きたことを受けとめるためのものです。

私と母親との関係については、また別記事に記したいと思います^^

 

 

また、「人の期待に応える」ことを手放すと同時に

「人に期待する」ことも手放すと、より人生が生きやすくなります。

相手を尊重することにもつながるので一石二鳥なんです^^

 

 

 

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