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羽生結弦選手にみた一流のあきらめかた

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これは自分の、心から感じることなんだけれど。

 


人生って「自己肯定感」で、ほとんど決まってしまう。昔からうっすらと、自分は、自己肯定感が低いなと思っていたけれど、いまは切に思う。

「自己肯定感」さえあれば、


自分自身に毎日のようにうんざりして、受けいれられなくて、吐き気がすることはないだろうし


描いた作品を、売れた売れないなどのあらゆる方向から比較され、言いたいほうだい言われたとしても、構わない、大丈夫と思えるだろうし


「未来には、きっといいことがある」と信じ、絶えぬ好奇心をもち続けて、新しいことにどんどんチャレンジしていけるだろう、と思う。

 

 

そう感じているので、「自己肯定感」の高そうなひとは、否応なしに目にはいってくる。

「なぜあのひとは、あんなに自信に満ちているんだろう?」

「打たれ強いひとは、私となにがちがうんだろう?」

そんなふうに、つい、みてしまうのは、「自己肯定感」がほしくて、あがいているからだ。

 

 

 


スポーツ選手は、「自己肯定」の達人だと思う。

もちろん、「自己肯定感」をたくましく育める環境で育つことができたのは、もっとも大事な要因であったと思う。

そこにプラスして、彼らは、自己肯定力を高める訓練をするらしい。

 


私が勝手に「自己肯定の達人」と思っているひとのなかに、羽生結弦選手がいるのだけれど、先日のフィギュアスケートの大会で、こんなことがあった。


羽生選手は、大会直前に異例ともいえるプログラム変更をし、世間が「ええ?」となるなか、ショートプログラムで世界歴代最高得点を出す、ということをやってのけた。


「マジか」と思った。


変更まえのプログラムは、たしか、2018年の平昌五輪で連覇を達成したあとから取り組んできたもので、2シーズンめ。

世界歴代最高得点を出した「バラード第1番」は、平昌で金メダルを取ったプログラムとはいえ、ブランクがあるはず。


なのに、世界歴代最高得点。

なにこれ?どういうこと?


たしかに、最近までの羽生選手の流れはモヤモヤしていた。演技や成績でいうと、悪くはないのだけれど「会心の出来」には至らない、という印象が続いた。

インタビューでは、ふだんはあがらないライバル選手の名前を出したり、なんだか、しんどそう・・・

だからこそのプログラム変更だったと思うけれど、いったい、変更まえとあととでなにが変わったというんだろう?

 

 

それは、試合後の、本人のインタビューではっきりした。

要約すると、

「あこがれのスケーターの背中を追って挑んだプログラムは、カバー曲とオリジナル曲くらいのちがいがあり、自分のプログラムにできそうになかった」

ということだった。

だから、〝オリジナル〟に戻した、と。

 

 

・・・なるほど、そういうことか・・・!

 

 

かってに私の解釈を重ねさせてもらえば、そこには「他人との比較」が、あったのだと思う。


すこし説明をすると、変更まえのプログラム『秋によせて』と『Origin』は、幼いころ羽生選手があこがれた、ふたりのスケーターの使用曲を採用していた。

自分のスケートの原点回帰。

あこがれたひとと同じ曲を使い、自分のプログラムとして完成させる挑戦、ということだったと思う。


つまり、意識を〝自分〟ではなく、〝自分以外のひと〟にも向けたことになる。そこには、どうしても「比較」が生じる。

 

 

羽生選手もインタビューで

「あまりにも理想が高いがゆえに・・・」

と、言っていたように、常にみえていたのは、あこがれのスケーターの背中だったのだと思う。

その理想の姿は、強烈なものだったんだろう。

あこがれが、ホンモノであればあるほど。

 


身近にいるひとを目標とし、力をのばそうとすることは有効な方法だけれど、背中を追いすぎると自分を見失う。他人と自分をくらべてしまう、ということがおきる。

自分の軸が、ブレる。

つまり、「他人軸」にかたよる。


それは、「自己肯定の達人」(と私が思っている)羽生選手でも同じなんだなぁと、すこしホッとした。

 

 

 


であれば、「自己肯定感」が超低空飛行を続けている私みたいな人間は、常に意識を自分に向けているのが、やはりベストなんだと実感する。


「私はみんなより仕事ができない・・・」

「あのひとのような魅力がない・・・」

 

などという、優劣の螺旋には終わりがなく、たとえ一時的に勝てて優越感にひたれたとしても、またいつ敗北するかという恐怖からは、生涯おりることができない。

それをつらいと思うならば、他人と自分をくらべるクセを、なおすしかない。

相手と同じ土俵には乗らずに、自分だけの世界で自分のままで生きるのだ。

 


自己肯定感の高いひとは、いつも意識が自分に向いていて、周囲の状況にまったく関係なく、「大丈夫、なんとかなる、平気」と、自信に満ちている。

多少失敗しても、周囲の批判を受けても、揺らがないでいられる。

 


そんなふうになれるのなら、なりたい。

 

 

 


すんなりとはいかないと思う。

気がつくと、まるで息を吸うかのように、他人と比較してしまっている自分がいる。

けれど、すこしずつでいい。たまに失敗したっていい。

「あ、またやってる。やめよやめよ」と、気がつくだけで大進歩。

 

「相手の機嫌」や「相手の意見」に注目しなくていい。

注目するのは常に、「自分のきもち」や「自分の意見」なんだと、そのつど軌道修正するだけで大進歩。

 

 

 

 

もしも、自分自身に、毎日のようにうんざりして、受けいれられなくて、吐き気がして、こんな人生投げ出したいって思ってるひとがいたら、「自信をもて」とは言わない。

 


でも、くらべなくていいよ。

 

 

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それにしても、一流の選手は「あきらめの潔さ、引きぎわのみごとさ」も一流なんだな〜と(´・Д・)

ずっと心血注いできたことを、手放すのにも勇気がいります。

継続することだけが美学じゃない、どんなにもったいないと思っても、あいまいな状態でズルズルいくよりは、スッパリ捨てる。それで良くなることもある。それは、逃げじゃないんだなと、教えてもらった感じします。

 

 

 

 

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